2009年10月31日

■お月見・収穫祭

昨日は十三夜でした。
3本のススキとお芋と栗とお団子13個のっぺい汁と炊きたてご飯,
また窓際にお供えしました。

秋の「夜」
十五夜・十三夜そして十日夜・・
旧暦8月15日,9月13日,10月10日。
芋名月,栗名月のお月見,そして藁デッポウでお祝いする収穫祭。
我が家は,十五夜と十三夜しかしませんが,
十日夜の藁デッポウ,父たちは十日夜も行っていたようです。
十三夜の昨夜。くっきりと少しだけ欠けた月が輝いていました。

昨日,インフルエンザが横行する中,
義父の調子が思わしくなく,
義母もお医者に連れて行ったので,
午後年休を頂きました。

お医者に行って,夕飯支度をして,お月見の準備をして
その後はなんと「ボーリング大会」・・こんな緊急時にあそび?
いえいえ。地区の教育関係の団体の係(会計)になってしまっていたので,
どうしてもはずせなかったんです。

結果,スコアすごいですよ。1ゲーム「178」。
どうだ!優勝だぞぉ。えっへん!
そのために,早めに帰宅していた主人に
証拠スコア表見せたら,びっくりしてた。
「100いきっこないって確信していたのに・・」だって。
ふ〜〜〜ん,見くびってはいけないぞぉ。

・・・って,実は,若い男の先生に投げてもらったの(笑)
20肩で重い物は全然もてないのでね。
体育も準備体操のストレッチも難しいんですもの。
どうもありがとう。もちろん1位の賞品は彼にもらっていただきました(笑)
ありがとうでした。
お月様もにっこりの十三夜でした。
posted by とし at 11:45| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ::宙:sizen:: | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

■秋宵 猶予:いざよひ

青嶺(あおね)ろにたなびく雲のいざよいに
物をそ思ふ年のこのころ

少しだけもの寂しい秋宵の空気になってきましたね。
昨日,十五夜。あいにくの小雨の宵お月様も顔を見られず。
本日,十六夜。朝からほんの少し青空。
 今日のお月様はどうでしょうね。

ちょっとためらいがちに顔を見せる月に
進もうとしても進めない「ためらい・躊躇」の意味もあるのだとか。
 ・・う〜ん私のお仕事進捗状況のようでもあるかな。
 ・・あ〜私のお仕事は,ためらいではなく「やらない」か(笑)

昨日の十五夜さん,いつもの通りに
ススキとお団子のっぺい汁,
そして節の根菜・果実を窓際にお供えした。

県民ショーで関西の方のお月見団子は
餡の雲をまとっている映像を見ましたが
こちらのお団子はすっぴんさん。
真っ白な上新粉のお団子です。

■立待月(たちまちづき)
十七夜月 立ちながら待ってそんなにくたびれないうちに月が上る事。
■居待月(いまちづき)
十八日月 立っていたのではくたびれるので座って待つ事。
■寝待月(ねまちづき)臥待月(ふしまちづき)
十九日月 寝待月は陰暦19日の月の事。寝待とはその字のとおり「寝て待つ」ということ。月の出がますます遅くなるのでもはや寝て待つという意。
■更待月(ふけまちづき)
二十日月 夜がふけてようやく上ってくるのでこう言われる。

月に祈る・・いろんなこと。

kaguyahime(笑)

過去の十五夜さんの記事(笑)いろんなことがあったのね。
http://lhaca.seesaa.net/article/897774.html
http://lhaca.seesaa.net/article/7100625.html
http://lhaca.seesaa.net/article/694705.html
http://lhaca.seesaa.net/article/57180559.html
http://lhaca.seesaa.net/article/57277145.html
posted by とし at 09:41| ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | ::宙:sizen:: | 更新情報をチェックする

2007年02月10日

::ヒト::

  人の命に関わったり,自然の畏敬に抵触したりする話題が喧しい。身近に肌で感じざるを得ない地球温暖化,政治家達の一言一句を糾弾する人の誕生への言及,いとも簡単に人命を絶つ,残忍さ,非情さ,その傷ましさ。。

  多くの文化文明の発展の名のもと,いつの間にか壊れかかった地球に乗っかっている,自業自得の我々「人類」。遺伝子をはじめ,種の保存等,神々の領域を犯した人類は,逆に怒りを粛々として被りはじめているのかも知れない。

  人々は,巷で叫ばれる「カガクテキな何か」に縋ってはいるが,その基「科学信奉」は,副産物として迷信の数々を量産してしまった。しかも,架空でバーチャルな実態の「像」を,茫洋としたスクリーンに浮かび上がらせているだけかも知れないのだ。ただぼんやりと。掌握しようとしても,その実,何の質量ももたない,陰影のみ握りしめているにすぎず,その虚無さに慌てる滑稽さだ(笑) …いや,ひかりの速さと物質の質量だけが,信頼できるモノとも限らないが・・

  女は,何も種の存続のために創られた「機械」ではないが,子を宿すための生殖器官を備え生を受けたのだ。その,男には担うことのできない領域を凌駕すべきは健全な過程だろう。一方種を放つ男性の営みに関しても同様なはずだ。
  感情論から離れ,エネルギー概念の本質に終始するなら,目の前にいる我が子を生み育てることも,遺伝子組み換えやクローン技術で,安価な食品を製産することも,そうは変わらぬことなのかも知れない。ヒトが生きて種を保存するためには,種々の欲をもち,種々の愛情を抱き,そして性の営みが存在するのだ。食・排泄・性・愛・・脳やホルモンや様々なヒトの器官が絶妙に絡み合い,産み出すこと・生み出すことへのシステムを構築している。遺伝螺旋を繋いでいくためのね。荒涼とした宇宙の中,単にその連続と言っていいのかも知れない。
 …反論あるいは誤解を生むのを覚悟で。結局ヒトの体の仕組みは,「機械」と等価なのかも知れぬ。極論,飛び交う電子の,ちっぽけな量子等のエネルギー取引なのだもの,どこが工場の機械と変わるものだろう(笑)無機物であれ有機物であれ,つぶつぶの集合体なのだ。 某大臣の弁護でも批判でもなく,政策そのもの本旨をあげつらえるほどの勇気もない単なる「戯言」だけど(笑)ゆーもあなる参照

  ただ,現実はもっと雑雑とし,ドロドロとしている。究極の飢餓状態なら,目前にある食の糧を奪い盗り,生あるものの命もいただくだろうし,愛に困窮すれば,命がけの略奪すら脳裏をかすめ,倫理観も消滅し手段さえ選ばなくなってしまう。NASAの女性飛行士の一件…実は笑い話ではない。私は…どっちかと言えば身を引いてしまうほうだけれど。
  ヒトも動物である限り,ある種 野生や獣の部分を併せ持っている。だから,理性や自制心といった「脳」で思索思考し,どこまで心でセーブができるかが人間らしさだろし,逆に野生の「本能」に流れるのも,ある意味人間らしさともいえよう。

  我が子は薬学部に進み,高校を卒業してから初めて「生物学」を学んだ。「生命」に携わる進路であるにもかかわらずである。同様に,お医者様を目指す友達も同様だ。化学は当然の選択としても,物理は理数系を目指す子たちには,当たり前の履修教科で受験科目だから。
  高校の履修科目の是非について,ここで語ろうというのではない。ヒトの命に関わる科学が,ごく小さすぎる粒理論にまで及び,肉体が電子や量子や・・今まで仮説に近かった部分の分析にまで言及されるということ。この「神」の領域として禁断だった部分にまでメスを入れようとしている現実が,ヒトの誕生といった「倫理観」まで複雑にミクロ化させていると言うことか。
と憂えているばかりでは何の打開策にもならないし
しかも,まったくの観念論でしかないな(笑)

 でも現実は…・・
ああ温暖化なのか。。立春を境に一気に春の息吹。昼休み庭で戯れる子ども達に,燦々と降り注ぐ2月の太陽は,あまりに春めき彩りが華やぎすぎる。
posted by とし at 08:08| ☁| ::宙:sizen:: | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

::節::

立春の朝,あまりに柔らかい陽光が注がれ,一瞬,瞼をあけられなかった。昨日は節分。鰯の頭を焼いて,柊と大豆と,いつものように豆まきをした。

節分は立春の前日ばかり取りざたされるが,立夏も立秋も立冬も,その前日は全て節を分ける日である。二十四節気で,四季が一巡りした1年の最初の日である立春。その前日の「節分」は1年の最後の日である大晦日と同じ意味で,いつしか追儺の儀式は,立春の前日に行われるようになり,「節分」と呼ぶようになったようだ。
豆まきで「鬼(邪気)」を払うのは,鬼の目"魔目:まめ"にめがけて豆を投げれば"魔滅:まめ",魔が滅するという意味があるのだそうだ。中国の"追儺:ついなの儀式"と日本の節分とが融合し,「鬼やらい」とも呼ばれる。
・・・って検索で知った知識から(笑)

・・ちなみに,我が家は「恵方巻き」は食べない。郷土の風習・習わしではないもの,今まで通りの儺(おにやらい)のまんまである。恵方巻き自体,海苔屋さんの宣伝という向きもあるし,コンビニの伝播効果にも閉口であるし。ふるさとの伝統のままでいいと思うから。
.*:・'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*

いくつかの節目
私自身も,この「如月」を自分の節目と認識させた・・。win-Vistaにしても,秋葉原にしてもこの「立春」を機に節目を迎えている。宇宙の計り知れぬ畏敬か。。地球の回転軸にもぶれがあるかも知れぬが,淡々と繰り返される自然の摂理は,万物に言い知れぬ示唆を与えているのでは・・とさえ感じてしまう。

昨日夕刻に,ある集まりでプレゼンを行わなくてはならなかった。他県支部と本県支部との合同研修会。・・職場・家庭の中・・いろんなことが重なって,やりきれない気持ちが満ちてしまい,その時刻まで動けなかった。…鰯を炙った節分支度の匂いを纏い,泣きながら運転し会場に向かおうとしたとき,主人が会場まで送ってくれた。支部長に我が家の事情等説明し,謝罪を。そして,生まれて初めて私の仕事上のプレゼンをじっと聞いてくれた。「よくやったよ。もういい,違ったsoraを知ったよ。でも,もう休んだ方がいい。」とひと言。

帰途,車の窓から覗いたまん丸な月の弧が滲んだ。。休もうかな,少し。
節は,混沌とした現状から切り替えてくれるはず。いつしかきちんと軌跡を描くことができるはず。
posted by とし at 11:47| ☁| ::宙:sizen:: | 更新情報をチェックする

2007年02月02日

::所在::

人の心の中には 振り切れる想いと
振り切ることのできない想いがあるのか

たとえ バーチャルな中で
そっと芽吹いてしまった 想いだとしても
静かに 降り積もるように 心に息づいてしまう
心許なさが 余計に 大切なものにしていってしまう
ずっと 振り切れないでいた
これからも きっと・・と 

けれど 自分の中で 創ってしまったイメージの
その本体は 実態ではなくて
イメージでしかなくて
息づかいも 鼓動も ぬくもりも
私は 何も手にしていないことに 気づいた

ほんとうは それが
心許なさと 哀しさの 源だったはずなのに
逆に 離れられる 根元になるかも知れないと
そう思えた

私の中に いつも息づいていた その存在から
離れるために ネットから 離れよう・・・
穏やかな 自分の平常な心に 戻るために

今日 主人が帰ってくる
はやく あいたい
しっかりと 子どもと 私の手を
結んでいて欲しくて

ああ だけど
揺るがぬ 大地は どこ
posted by とし at 09:14| ☁| ::宙:sizen:: | 更新情報をチェックする
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