2004年09月10日

■りありずむ


オハツキイチョウについて,過日の最終講義の時生物研究室の大好きだった先生からうかがった。
しかし,その前から名前は知っていた。
森村誠一の推理小説からである。
母が入院してからというもの,ちょっといろんなジャンルの書を手にした。
育児書・教育書・理科教育全般・・・仕事柄仕方なく(笑)
雑誌類・・・ふらっと寄った病院の売店で
推理小説・SF・・・診察待合室,各階病室のコーナー
生き方・宗教・エッセイ・・・同上

推理小説は,横溝正史氏と森村氏くらいだっただろうか。
多分森村氏の小説の中に犯人の手掛かりのひとつに
このオハツキイチョウが出てきた。。
ん〜ちょっと定かではないけど,多分ね。
日本での生息地が限定されることが,
犯人を暴いていくためのポイントになっていた。

「・・へぇ,作家の取材ってまんざらでもないのね〜」
その時(最終講義)思ったものである。
設定のリアルさである。
虚構のはずなのにまさにリアルそのもの時空の流れがある。
それは,左京氏にも感じたこと。
左京氏や瀬名さんや誠一氏のストーリーの中の
各描写には生々しいものが多い。
こんなことを言ってはなんだが,
死の場面・性の営みについても然りである。
本当は,そんな筋の話なんて病院では読みたくないのでは・・
そう感じていた。(あ,瀬名さんだけさん付けだぁ(笑))
多分に生死に向き合っていた人達の手にした本である。
…だって「寄贈」なのである。

ドウシテダロウ

もっと「菜穂子・楡の家」「幼年時代・晩夏」の様に
(・・あ,堀辰雄だぁ・・ちょっと青春時代電車の中で被れて読んでいました(笑))
風景画でいえば淡い色彩を思い浮かべるようなものを
手にされるのでは・・と思っていた。

虚構の中に存在するリアルさ=生きること
・・もしかすると,イコールで結ばれているのかもしれない。。。




いきていることこそ
りありずむ
posted by とし at 02:44| Comment(2) | TrackBack(0) | ■sham reviewer | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
だって寄贈

亡くなった
快復した

生き死にの交差点の感受性

何かを共感しました

森村誠一の生々しい虚構空間も
Posted by ひろ坊 at 2014年02月22日 13:16
だって寄贈 !

亡くなった
快復した

生き死にの交差点の感受性

何かを共感しました

森村誠一の生々しい虚構空間も
Posted by ひろ坊 at 2014年02月22日 13:17
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