2007年01月17日

■学力考:自浄作用へ

  勤務校には「基礎・基本の時間」という,学校裁量のぶら下がりの時間がある(毎週水曜日6校時)。内容はその名前の通りである(笑)まさに表面的にも国語的語彙力・数理的処理能力などの,基礎基本のスキルを醸成しようという時間である。授業中十分に練り上げることのできなかった「3R's」を,約40分間程度の間に必死にドリル・スキル学習を鍛え上げる「根性の時間」である(笑)…でもね,担任のほか,専科の職員が各学級に入って,懇切丁寧に個に対応できる「優しさの時間」でもあるのよ。その日は昼休み清掃も省き,低学年にも無理のない時間帯を捻出している。校務分掌上,少人数加配TTの教員が充てられ,基礎基本担当としてその中心を担っている。

  学校課題では,ずっと環境学習を核に取り組んできた。学校プランとして低学年から年間計画が組み立てられ,学校の特色・・と問われれば,「環境学習推進校・・」と回答するかな。2年間の文科省指定「GLOBE(環境のための地球学習観測プログラム)」も本年度で最終年度を終えるが,何らかの形で,観測ほかの体制は維持していく方向をとっていくだろう。私は学習指導・研究推進の係の立場にあるため,T.Tさんとともに,本校の基礎基本と,生きる力の礎(いしずえ)ともなる問題解決力を,双方からアップしようと努めている。

  基礎基本,そして環境学習。読み書きそろばん的な「基礎基本的スキル」と,問題解決的自主課題追究の「総合的な学習の時間」。相反するもののように思われるかもしれない。後半の「総合的な学習の時間」の方は,まさに学力低下の天敵として,今ややり玉に挙げられている渦中の学習でもあるし(笑)「英語科」なんて教科的なものに置き換えられつつある昨今でもあるし。
本来,基礎基本の学力といえば,その両方を総括したものでなくてはならない。百マス計算や公文式といった機械的に近い処理スキルは当然なものとして,コミュニケーション力やその基をなす自己表現力など,基礎基本として列挙できるものは,両手でも足りない〜♪である。
(力・・と言っていいかどうかの見解はちょっとおいておく)

  乖離。日本で「総合的な学習の時間」が,先細りはじめているのは,イベント学習や実践のみありきの,這い回る学習に陥っているところもあるからだろう。基礎基本の学力についての世論が,スキルに傾いた側面,あるいは知識理解面の量的測定値ばかりを重んじ,短絡的に「学力低下」と帰結しているところにも問題があると思うけど。
「基礎基本」同様「学力」論争にも余念がないマスコミ諸兄であるが,低下してきている「学力」とはどの側面を指しているものだろう。記憶した漢字の数,手順を覚えた計算処理パターン量・・筆記試験で目に見える評価のできる部分である。理科でも,パフォーマンステストほかを駆使して,実験処理能力,観察力,科学的思考力・・を測ろうと必死だが,さて,どの程度その学力のカテゴリーを浮き彫りにできているものだろう。

  そもそも,'04年に発表されたOECD(経済協力開発機構)の,生徒の学習到達度調査(PISA:ピザ)の結果を受けてが,ことの発端だろうが,その上位を占めているフィンランドの教育事情を。「基礎基盤社会」をビジョンに掲げていた90年代後半国語力の低下が問題だったという。'01〜'04にかけて,学校教育における読み書き能力の向上を目指した「LUKUSuomiプロジェクト」が実行されたと。国語だけではなく,すべての教科を対象に「読解力,特に演繹的批判的読解力の改善」「様々なジャンルの文章を書くこと,すべての教科において書くことを通じて学ぶ」「学校図書館の改善」など7つに及ぶ主要プログラムを構成したとか・・・。しかも,教科を固定しない「プロジェクト学習」が広まり,教科を横断する「LUKUSuomiプロジェクト」と相まって,紙メディアからネットなど,あらゆる文字資料を活用した「プロジェクト学習」が全教科で展開されたという。
どうも,日本の総合的な学習の時間に酷似している。(っていうか日本が真似しちゃったのだろうけど(笑))決定的な違っちゃう点があると思う。

 全くの私見を語らせていただけば,フィンランドの国民性にマッチした教育改革だったのでは・・・という点がひとつ。そして,教科は横断したにしろ「プロジェクト学習」という学習過程論に固定し,改革の方向性が可視化され具体化しやすかった点。(日本は幅を広げすぎ,培うべき学力の焦点が明らかにぶれていた。)さらに,教員の質的向上ほか,地道な教育環境ベースからの改革に終始されていたんじゃないかという点,3点ほどかな・・・。

  真似は得意の我が風土である。しかも,輸入文化を,咀嚼・反芻し,自国化を器用にやってのけてきたはずだったのに。こと,教育に関しては先を急ぎすぎ,結果を数値化しようとしたあまり,その表面的改革の反動が,将来を担うべき子どもたちに反映してしまったのではないか。。。と,哀しく思う。哀愁。。
  教員評価に関しても,多分に異国文化の輸入に頼っている(笑)。が,教員たちの疲弊ばかりが募れば,子どもたちへの,たくさんのあたたかな伝えるべき人間性の本質や,「こころ」なんて伝えるすべさえ忘却の彼方になりそうだ。
  本来,評価をされることの苦手な教員たち。自浄作用をしっかりもち,客観的な輸入物の数値などに,雁字搦めにならないようにしたいものである。

・・・以上,環境学習担当よりのモノローグでした(笑)
posted by とし at 00:40| ☔| Comment(3) | TrackBack(1) | ■かりきゅらむ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小中高を比較すると、おそらく小学校が一番メニューてんこ盛りでやっていると思います。
「小学校が学力の基礎になる」という考えがどんどん広がって、「アレもやってコレもやって・・・」という感じなんでしょうか。
教育界全体が、「基礎・基本」や「学力」の定義を曖昧にしてきたことも、焦点がぼやけて取り組みを拡散させた原因なのかな。

Posted by Bell at 2007年01月17日 21:42
根本的に西洋概念と東洋概念は違っているが、日常生活の中の自然環境から派生する歴史の積み重ねを見ても、わかりきっているところなのだが、何故かここでも「隣の芝が青く見える」様で日本人は真似をしたがる。
悪くはないが土着の気象風土を加味した民族性を最大現考慮し、独自のプランを形成しなければうまくいかないのが、現在の日本の現状だと思っている。
決して劣っている訳では無く、成熟していないだけで、政治家の思惑だけでコロコロと鉾先を変えてしまう事の方が根源的な欠点だと思います。
教育は長いスパンでの試みなのだから、じっくりと越しを据えて現場の意見を吸い上げ成熟せさて、それでもなお改善点があれば直すと言う工程が、軽視し過ぎで急で劇的な目新しい事に執着する。
そんなに、現場が信じられないのか.....と思ったりもするが、現代社会の中ではこの点も仕方がないのかなと諦めもあったりする。
なんとも、情けないやら虚しいやら.....
Posted by 闇夜のカラス at 2007年01月17日 23:03
ご意見ありがとうございました。

■Bellさん
基礎基本の規定自体は,決して曖昧にされているわけではないと思います。広範囲にわたっているので,多分私自身が
把握できていないのでしょう。
広範囲にわたってしまっていることも,問題なのかもしれませんが。
けれど,それぞれの基礎基本については,大切なことだと思っております。
私の読みにくい分からでは,私の伝えたいことが伝わらなかったのかもしれません。済みません。作文下手なので(笑)

■闇夜のカラスさん
そうなんです。私もそう思います。
他国のやり方を,きちんと自国のものに
要因を勘案して翻訳し,現場でも通用するかどうか,
具体的施策を施してから実際に動き始めるべきだと思っております。
>決して劣っている訳では無く、
>成熟していないだけ
>鉾先を変えてしまう事の方が根源的な欠点
御意です(笑)

また,何とか委員会では,授業時数や教科書の厚さや・・・へのお話し合いがされたようです。
その内容についての真偽ではなく,
「また変わるのか・・」にちょっと唖然。
授業時数削減の時点で,現場の教員達は,
「ゆとりなどうまれっこない。総合的な学習の時間など,その本質を研修する実質的時間もないまま動き出せば,這い回るようになるに決まっている・・・」
とちゃんと先をおもんばかっていました。
前倒しまでしての,焦りながらの実施。そして我々指導者サイドでも,方向性をつかめていない時点での見切り発車。
ここ何年かの,教育改革に銘打った,めまぐるしく衣替えしていく慌ただしさこそ,十分に警戒すべきことだと思えるのですが。

Posted by とし at 2007年01月20日 09:50
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